9歳の事故。そして、40年以上知らなかった「本当のこと」

夫の人生記録-KIZASHI-

あの事故のことは、今でも忘れられません。

たぶん、これから先も、完全に忘れることはないと思います。

人って、人生の中で本当に強烈だった出来事ほど、時間が経っても、心の奥に残り続けるんですよね。

9歳の放課後に起きたこと

自分にとって、その記憶が9歳の時の事故でした。

友達と学校の帰り道に、

「どっちが速いか勝負しよう」

そんな子どもらしい理由で、かけっこをしていました。

今思えば、本当に普通の放課後です。

いつもと変わらない帰り道で、友達とふざけながら走っていた。

でも、その数秒後に、自分の人生が大きく変わるなんて、9歳の自分には分かるはずもありませんでした。

突然の衝突

突然、高校生の自転車と衝突しました。

本当に一瞬でした。

避ける暇なんてありません。

相手の自転車の車輪が、自分の左膝にぶつかりました。

そのまま高校生も、自分も倒れました。

地面に倒れた瞬間、左膝に強烈な痛みが走りました。

膝を見ると、パックリ裂けていました。

皮膚が裂けて、中が見えていました。

大量の血も流れていました。

今思い出しても、かなり酷い怪我だったと思います。

でも不思議なことに、その時の自分は、痛みより先に別のことを考えていました。

置いていかれた感覚

自転車に乗っていた高校生が、慌てた顔で聞いてきました。

「名前は?」

自分は、裂けた膝を押さえながら、自分の名前を伝えました。

すると高校生は、

「KIZASHIくん、ごめんね」

そう言って謝りました。

でも、そのあとです。

高校生は自転車を起こして、一緒にいたもう1人の高校生と、そのまま去っていきました。

今なら分かります。

きっと高校生も怖かったんだと思います。

子どもの膝が裂けて、大量に血が出ている。

高校生側も、どうしていいか分からなくなったのかもしれません。

でも、9歳の自分には、そんな事情を考える余裕なんてありませんでした。

ただ、

「置いていかれた」

その感覚だけが残りました。

誰も助けてくれなかった

さらに、一緒にいた友達も、自分の膝から流れる血を見て怖くなったのか、

「俺、帰るわ……」

そう言って帰っていきました。

気づけば、その場に1人でした。

膝からは血が流れ続けていました。

通りすがりの大人たちもいました。

でも、チラッと見るだけで、誰も助けてはくれませんでした。

今の時代なら、きっと救急車を呼ばれていたかもしれません。

でも当時は、見て見ぬふりをする人も多かった。

だから自分は、血だらけの足を引きずりながら、1人で家に帰りました。

泣けなかった子ども

普通なら、泣いてもおかしくなかったと思います。

怖くて当然だったと思います。

でも、あの時の自分は泣きませんでした。

いや、泣けなかったのかもしれません。

頭の中で考えていたのは、

「親から怒られる」

「治療費がかかるだろうな」

そればかりでした。

子どもなのに、痛みより先に、“迷惑をかけること”を考えていたんです。

今思えば、かなり苦しい状態だったと思います。

でも当時の自分には、それが普通でした。

「怒られないようにしなきゃ」

その感覚が、いつも先に来ていました。

父親の怒鳴り声

家に帰ると、父親が驚いた顔で言いました。

「その怪我どうしたんだ!」

そしてすぐに、

「相手は誰だ!」

「名前は聞いたのか!」

そう聞かれました。

自分は痛みに耐えながら、

「名前は聞いてない……」

そう答えました。

すると父親は、

「なんで聞かなかったんだ!」

と怒りました。

もちろん、父親も焦っていたんだと思います。

でも、当時の自分には、その怒りがとても怖かった。

だから余計に、

「迷惑をかけちゃいけない」

そう思ってしまいました。

あれだけの怪我をしているのに、誰にも助けてもらえない。

泣くこともできない。

痛いと言う余裕もない。

ただ、我慢するしかありませんでした。

8針縫ったあとに起きたこと

その後、整形外科へ行き、左膝を8針縫いました。

針を縫う時の感覚も、今でもなんとなく覚えています。

でも、問題はそこからでした。

事故から1週間後。

突然、てんかんの大発作が起きました。

今思えば、強直間代発作だったと思います。

突然倒れて、意識がなくなり、体が激しく硬直した。

親も相当驚いたと思います。

自分でも、何が起きているのか分かりませんでした。

本当にきつかったです。

ずっと事故が原因だと思っていた

当時の自分は、ずっと思っていました。

「自転車事故が原因で、てんかんになったんだ」

そう信じていました。

何十年もです。

でも、それは違いました。

今回、この話をnoteに書く中で、どうしても本当のことが知りたくなりました。

だから昨日、母親に聞きました。

すると母は、少し困ったように、

「お父さんに代わるね」

そう言いました。

40年以上知らなかった本当のこと

電話に出た父親は、当時のことを詳しく話してくれました。

その内容は、自分にとって衝撃でした。

てんかんは、自転車事故が原因ではありませんでした。

しかも、先天性だったのです。

40歳を過ぎてMRI検査を受けた時、主治医から正式に、先天性の難治性てんかんだと診断されました。

だから今回、父親から当時の話を聞いて、

「ああ、やっぱりそうだったんだ」

と、ようやく腑に落ちました。

父の話では、5歳くらいから症状が出ていたそうです。

ふらふらしたり、ボーッとしたり。

今思えば、おそらく自動症だったのだと思います。

説明する言葉を持っていなかった

13歳の頃、千葉県の病院に入院して、薬の調整をしたこともありました。

でも、その記憶はあまり残っていません。

体調も悪く、当時のことはぼんやりしています。

ただ、新聞配達をしていたことだけは覚えています。

薬を調整しても、発作は完全には止まりませんでした。

でも当時の自分は、

「倒れることだけが、てんかん発作」

そう思っていました。

だから、自動症が起きていても、それが発作だと気づけませんでした。

「モワ〜っとする感じ」

「頭が痛い」

それくらいしか説明できませんでした。

本当は、自分の脳の中で、色んなことが起きていたのだと思います。

でも、子どもの自分には、それを説明する言葉がありませんでした。

診察でも、きっとこう言っていたと思います。

「大丈夫です」

本当は、大丈夫じゃなかったのかもしれません。

でも、自分でも分からなかった。

体調が良いのか悪いのか。

普通って何なのか。

自分がどんな状態なのか。

それすら分からないまま、ずっと生きてきました。

弱かったわけじゃない

でも今なら分かります。

あの時の自分は、弱かったわけじゃありません。

むしろ、誰にも頼れない中で、必死に耐えていたんです。

本当は怖かった。

本当は助けてほしかった。

本当は、痛いと言いたかった。

でも、そう言えなかった。

ただ、それだけだったんだと思います。

生きづらさを抱えている人の中には、“痛みを感じる前に我慢してしまう人”がいます。

苦しいのに、

「まだ大丈夫」

と言ってしまう人がいます。

自分も、ずっとそうでした。

だからもし、今のあなたが、

「自分の辛さが分からない」

「周りに説明できない」

「大丈夫なフリをしてしまう」

そんな状態だったとしても、自分を責めないでほしいです。

気づいた時から、人生は整え直せる

人は、長く我慢し続けると、自分のSOSに気づけなくなることがあります。

痛みに慣れてしまう。

苦しさを普通だと思ってしまう。

助けてほしいのに、助けてと言えなくなってしまう。

でも、気づいた時からでいいんです。

少しずつ、自分の人生を整えていけばいい。

遅すぎるなんてことはありません。

自分も40年以上かけて、ようやく“本当のこと”を知りました。

止まっていた時間が、少しずつ動き始めたような感覚があります。

過去は変えられません。

でも、過去の意味は、これから変えていけると思っています。

もしあなたも、ずっと言葉にできなかった痛みを抱えているなら。
焦らなくて大丈夫です。
まずは、自分の中にあった小さなSOSに気づくことからでいい。
そこから、人生は少しずつ整い始めます。

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