線維筋痛症になって気づいた本当の答え

🔮 自己理解
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働きたいのに働けない自分を見て、情けなくなってしまう日ってありませんか?

朝起きた瞬間から身体が痛い。

頑張って家事をしただけでぐったりしてしまう。

買い物に行っただけなのに、帰ってきたら何時間も横にならないと動けない。

本当は働きたい。

社会とつながっていたい。

自分の力で少しでも収入を作りたい。

でも、身体が思うように動いてくれない。

そのたびに、

「私は何をやっているんだろう」

「周りは普通に働いているのに」

「このまま老後はどうなるんだろう」

そんな不安が押し寄せてくることはありませんか?

私も何度もそう思いました。

一般就労も難しかった。

障害者雇用も続かなかった。

体調が良い日もあれば、ベッドから起き上がれない日もある。

こんな日常を送っていて、私は勝手に決めつけてしまっていました。

「働けない私には価値がないんじゃないか」

そんなふうに考えてしまうことがありました。

でも今は少しだけ違います。

働けなくなったからこそ気づけたことがあるからです。

今日は、線維筋痛症になった私が見つけた

「本当の価値」

についてお話ししたいと思います。

働けない自分を責め続けていた

人に迷惑をかけたくない。

できることは自分でやりたい。

頑張れるなら頑張りたい。

そんな気持ちを持っている人ほど、病気で働けなくなった時に苦しくなるのかもしれません。

私もそうでした。

病気になって一番苦しかったのは、実は痛みだけではありませんでした。

働けない自分を「情けない人間だ」と思い、悔しくて受け入れられなかったことです。

18歳から24歳までは、一般就労にも挑戦しました。

この時は、まだ痛みはひどくなかったです。疲労感や高熱がでたりしていました。

B型就労支援も6年間、利用しました。

障害者雇用も4年間、経験しました。

できることは全部やってみました。

でも現実は厳しかったです。

全身のあちこちが焼けただれるように痛い。

痛みで集中力が続かない。

人混みに行くと呼吸がきつくなり震えてくる。

家に帰ったら、何もできなくて、そのまま横になって「うぅぅ…」って歯を食いしばって必死で我慢していた。

以前の障害者雇用先では「頑張って」とか「深呼吸してみようか」とか「気にしないようにしてみたら?」って言われる。

自分だって頑張りたいし、気にしたくない。

本当はずっと働きたいし、みんなと普通に話したい。

でも現実は、身体がぜんぜんついてこない。

その繰り返しでした。

Xやインスタを開けば、

元気に働いている人がいる。

旅行を楽しんでいる人がいる。

副業で成功している人がいる。

そんな姿を見るたびに、

「どうして私はできないんだろう」

って、ずっと落ち込んでいました。

本当は誰よりも頑張りたいのに。

本当は働きたいのに。

本当は諦めたくないのに。

それなのに身体が動かない・・・

もしあなたも、そんなふうに自分を責めてしまうことがあるなら、まず伝えたいことがあります。

働けないことと、価値がないことはまったく別です。

でも当時の私は、そのことがどうしても分かりませんでした。

病気そのものよりも、

働けない自分を責め続けることに疲れ切ってしまっていたのです。

本当に苦しかったのは痛みじゃない

もちろん身体はずっと痛い。

朝、布団から起き上がるまでに30分以上かかる日もあります。

「よいしょ!」と身体を起こした瞬間、

全身に電気が走るような痛みが広がる。

今日も始まった。

そんな気持ちになる日もありました。

洋服を着替えるだけでも皮膚が痛くて「いたーい😭」って一人で叫んでます。

髪をとかすだけでズキンと脈を打つように痛い。

少し長く座っているだけでも、腰や太もも、ふくらはぎも足の裏もビリビリしてて痛い。

わかってもらいたくて、知ってもらいたくて、言葉にしようと努力はしていますが、線維筋痛症の痛みは、経験した人じゃないとなかなか伝わりません。

だから私はずっと、

「この痛みさえなければ、違った人生を送っていたんだろうな」

「走ったり・飛んだり・長時間の外出したり・・・」

やりたいことはいっぱいありました。

私も普通に楽しみたい!そう思っていました。

でも、今振り返ると違ったんです。

本当に苦しかったのは、

身体の痛みではありませんでした。

働けない自分。

稼げない自分。

役に立てない自分。

そんな自分を責め続けることでした。

病気になってからの私は、

何をしてもダメな人間のように感じていました。

働けない。

収入も少ない。

将来も不安。

周りに迷惑ばかりかけている気がする。

そんなことばかり考えていました。

特に辛かったのは、

「ありがとう」

よりも

「ごめんなさい」

の方が先に出てくることでした。

家族にごめんなさい。

社会にごめんなさい。

働けなくてごめんなさい。

迷惑をかけてごめんなさい。

ある日ふと気づいたんです。

私は誰にも

「生きていてごめんなさい」

なんて言われていないのに、

自分で勝手に自分を責め続けていたことに。

病気になったのも私のせいじゃない。

痛みがあるのも怠けているからじゃない。

それなのに私は、

自分自身だけは許してあげられませんでした。

いつの間にか私は、

生きていることそのものに申し訳なさを感じるようになっていたのです。

そして気づけば、

自分の価値を仕事や収入だけで判断するようになっていました。

働いている人は価値がある。

稼いでいる人は立派。

それに比べて私は何もできない。

だから価値がない。

そんな極端な考え方になっていました。

でも、本当にそうでしょうか?

もしそうなら、

病気になった人は全員価値がないのでしょうか。

介護を受けている人は価値がないのでしょうか。

障害を抱えている人は価値がないのでしょうか。

きっと違いますよね。

頭では分かっている。

でも、自分のことになると分からなくなる。

私もずっとそうでした。

本当は価値がなくなったわけじゃない。

ただ、

苦しみすぎて見えなくなっていただけだったのです。

そして私は少しずつ、

あることに気づき始めました。

価値は「できること」で決まるのではなく、

「存在していること」にもあるのではないかと。

🌸次回予告

私は長い間、

「働ける人に価値がある」

そう思い込んでいました。

でも、ある出来事をきっかけに、その考え方が少しずつ変わっていったのです。

次回は、

「でも価値は仕事だけでは決まらない」

についてお話しします。

もし今、

働けない自分を責めているなら、

あなたにも知ってほしい大切な気づきがあります✨

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